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■会社概要
| 社名 |
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株式会社 滝本仏光堂 |
| 所在地 |
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本社/大阪府守口市梅園町2-22 |
| 事業所・支店 |
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本店第一展示場・第二展示場・第三展示場・寺院仏具展示場・枚方店・巣本店・鴻池店・寝屋川店・香芝店・木津店・甲西店・福井店・太子橋店 |
| 創業 |
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昭和35年3月 |
| 設立 |
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昭和57年7月 |
| 代表者 |
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代表取締役 滝本 正 |
| 社員数 |
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50名 |
| 店舗数 |
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13店 |
| 事業内容 |
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仏壇・仏具・寺院仏具・神具の製造販売 |
■会社沿革
| ●昭和35年 |
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創業 |
| ●昭和57年 |
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会社設立 |
| ●昭和57年 |
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枚方店オープン |
| ●昭和59年 |
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巣本店オープン |
| ●昭和62年 |
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木津店オープン |
| ●平成元年 |
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甲西店オープン |
| ●平成元年 |
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鴻池店オープン |
| ●平成3年 |
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香芝店オープン |
| ●平成6年 |
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寝屋川店オープン |
| ●平成9年 |
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太子橋店オープン |
■店舗展開
本店第一展示場/第二展示場/第三展示場/寺院仏具展示場/太子橋店/枚方店/巣本店/鴻池店/寝屋川店/香芝店/木津店/甲西店/福井店
■創業者 滝本正 創業の志とその歩み
滝本 正 (大正十五年 福井県丹生郡越前町梨子ケ平生)
●生誕地 「梨ケ平」と滝本家
歴史と山紫水明の地として今につたわる梨ケ平。その昔、“一の谷の戦”で敗れた平家の落人が隠家としてつくった七つの“平”のうちの一つである。時代は移り徳川幕府の頃、梨ケ平は天下の直領、すなわち本坊領土として栄え、滝本家は大庄屋をつとめ共に発展してきた。有名な越前水仙の発祥地として、晩秋から春彼岸にかけては花の咲き乱れる、風情豊かな地である。
●大志を胸に戦争へ
時は大正。美しい梨ケ平で農林業を営む家に生まれた滝本正は、少年時代から何か人のためになる仕事をしたい、と望む少年だった。やがて福井農林学校在学中に志願にて第二次世界大戦に従軍。陸軍特特別幹部候補生空隊戦闘機部隊に所属、マレーシアにて戦火をくぐり終戦、復員後卒業。数えで二十の年であった。
●戦争の混乱の中から
戦争体験で何よりも強い意志を身につけた滝本正は、いちはやく戦後経済の復興気運をとらえ、動き始める。各地を回りながら繊維・生花・食品等を商い資金を貯蓄。二十二年故郷に製材所を造り、建築業を営む。その後仏壇の製造に着手。同時期仏門に帰依することを望み、京都府八幡の忍徴院にて二年間の修行に励む。
●仏壇店創業へ
その後、滋賀県日野町平子の澄禅寺において、井上上人(元知恩院副管長)に仕え、上人より特別の才を見出されて仏壇店を興すよう薦められる。以後滝本正は全国をまたにかけての仏壇修復の旅で技術を磨く。その数は千基にものぼった。滝本正を動かした信念は「ひたすらな努力は必ず道を切り拓く」。昭和三十五年、滝本仏光堂は大阪府守口市にて創業の産声をあげた。
●「しあわせ」企業を支えたひとり
人々の暮らしに安らぎを届ける企業として、順調に店舗を拡大。滝本正と滝本仏光堂の歩みは、また、滝本正とそれを支える者たちとの息の合った歩みでもあった。父作治、母りゆの生涯を通して親孝行であったことが、滝本正にとっては精神的に大きな支えであり、又、中でも妻、滝本富子は、福井女子師範学校卒の小学校教諭。真面目で間違ったことの嫌いな同女は、滝本正の最もよき理解者のひとりとして、生涯にわたり経営を支えた。
平成三年六月十二日没。 合掌。
●株式会社 滝本仏光堂
人とともに歩み、人の心を育む。「しあわせ」伝達企業
親から子へ、子から孫へ。有史以来永きにわたり仏壇・仏具は「心の窓」として人と仏、人とご先祖を結び付け、人々の心を支えてきました。滝本仏光堂は人の「心」を育むことを誇りに思い、いかにして、「しあわせ」を提供していくかを常に考えております。そのため、事業は仏壇・仏具の製造販売だけにとどまらず、修復や寺院仏具の設計・施工、そして美術品の取扱・・・と広がっております。時を超え受け継がれる和の文化を通じて「しあわせ」を紡ぐ、「しあわせ」伝達企業。
滝本仏光堂の創業の志はここに脈々と、息づいています。
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